忍者ブログ

からまるどっとコム

~日常とイラストと寺社巡りブログ~

熊野詣とは①神話の熊野と八咫烏


● 神武天皇、熊野で八咫烏に会う


和歌山の熊野三山を詣でる熊野信仰のきっかけは『日本書紀』『古事記』にみられます。日本の初代天皇である神武(じんむ)天皇熊野で一悶着する「神武東征」をチェック。八咫烏(やたがらす)もここから登場します。難しそうと思ったら意外と面白いです。

< 簡単なあらすじ >




時は紀元前711~585年くらいのころ。(聖徳太子が登場する時代の推古天皇が33代というとピンとくるかも…)

神日本磐余彦
(かむやまといわれびこ)こと後の初代天皇神武(じんむ)天皇は45歳の時、「東に天下を納めるのにちょうど良い感じの土地があるらしいからそこに都つくろ♪」と東征を企てます。

故郷の日向高千穂峰(ひゅうがたかちほ・宮崎)を出発、 筑紫(つくし・福岡)から 瀬戸内海を経て難波(なにわ・大阪)に到着。さぁ大和国(やまとのくに・奈良)に入ろう!としたところ、この地を支配していた長髄彦(ながすねひこ)軍の抵抗にあい、やむなく紀国熊野に上陸…。

そこで神武天皇は熊野を支配していた丹敷戸畔(にしきとべ)という女王率いる部族を制服しようとするも、土地の神の毒気を受け、神武一行は倒れてしまいました。

連敗の神武一行を見ていた天照大神(あまてらすおおみかみ)は、熊野の住民・高倉下(たかくらじ)に霊剣・ふつのみたまを授け、夢の中で「あの子にこれを渡して」と伝えます。高倉下は指示通り神武天皇に霊剣を献上、すると軍はたちまち勢いを取り戻し進軍再開。

天照大神はさらに八咫烏を送り、神武一行は八咫烏の道案内により無事大和に到着できました。しかしそこでまた因縁の長髄彦(ながすねひこ)と対峙します。苦戦をしいられていると、一羽の鳶(とび)が神武天皇の弓にとまり光り輝きました。その矢を放つと見事に敵軍を打ち破り、大和征服に成功したのです。そして後に樫原宮(かしわらのみや)で即位しました。


………以上が「神武東征」の内容です。『日本書紀』『古事記』に東征の記録がありますが内容が異なり、神話的で所説ある為、史実とする派・しない派にわかれます。


MEMO
◆ 神武東征のシーンは月岡芳年(つきおかよしとし)の浮世絵が有名です。かっこいいです。
神武天皇を導いた八咫烏は実は賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身で、後に鴨県主(かものあがたぬし)の祖となったという記録もあります。京都の下鴨・上賀茂神社は主祭神に賀茂建角身命をお祀りしている為、八咫烏のお守りがあります。
◆ 霊剣を献上した高倉下は熊野の神倉神社の御祭神となり祀られています。

 

 ● 熊野という地

日本では古来より各地で自然崇拝が行われており、自然に恵まれた熊野も例外ではありませんでした。人々は神話の時代から熊野の地を「黄泉の国」と信じ、巨岩を、滝を崇拝し「死と再生の地」として信仰してきました。また、古くから山岳修行者も訪れ苦行を行なってきました。
 
※ 熊野詣の詳しい始まりは②から


● 八咫烏

◆ 神話では神武天皇を紀国(和歌山)熊野から大和(奈良)樫原まで道案内したカラス。(3本足だったかは不明)

◆ 熊野が「熊野三山」として確立されると、遺体をついばむカラスは神聖視されミサキ神となり、3本足の八咫烏は熊野大神に仕える神使として信仰されシンボルとなりました。

◆ 平安時代の古代氏族名鑑『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』では八咫烏は賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身で、後に鴨県主(かものあがたぬし)の祖となったとあります。

◆ 日本サッカー協会のシンボルマークに用いられています。

オカルトの世界になると「天皇を影で操る裏天皇の組織名」などというのもあり…八咫烏は様々なところで活躍しています。

【 咫(あた)の意味 】

咫は長さの単位でここでいう八咫(やた)は「大きい」の意。

【 なぜ足が3本なのか 】

◆ 熊野本宮大社「天(神)・地(自然)・人を表し万物は同じ太陽から生まれた兄弟」
◆ 熊野地方に勢力を持つ熊野三党(榎本氏・宇井氏・藤白鈴木氏)の威を表す
◆ 陰陽五行説では二は陰、三は陽であり三本足の方が太陽を象徴するにふさわしい

などなど諸説あります。



▲ 左から新熊野神社下鴨神社上賀茂神社熊野若王子神社と後ろは熊野神社の手ぬぐい


【 熊野詣とは② 】に続きます。


2016.11.24記録 ※随時編集します

拍手

PR